西海地区公民館にて、駒ヶ岳のワニ口についての意見交換会がありました。
メンバーは西海地区公民館長、根知在住の方、糸魚川市定住促進課地域振興係、地域おこし協力隊、集落支援員です。
熟練した登山経験者でなければ(ザイルによる岩壁の登り降りが必要)到達できない垂直の壁に裂け目のように存在する横穴に、祠や石仏があります。
その昔、修験者がそこで修行したと言われる「ワニ口」
根知在住の水野さんが撮影した写真をみながら、この珍しい「ワニ口」をいかに紹介していくのがよいか、様々な意見が出されました。
- ワニ口は実際珍しい場所であるが、普通の人はたどり着けない場所にあるため、その現場の上か下数十メートルの場所までしかいけないというのが観光としては難しいところ。
- ワニ口に太陽電池のLEDをセットしてもらい、当時、そこで修業していたころは西海や根知でろうそくの火がみえたという様子を再現したらどうだろう。
- 高倍率の双眼鏡があればほこらまで見えるポイントが根知にある。そこを整備したらどうか。
- ワニ口をきっかけに、この駒ヶ岳の修験者、山岳信仰の文化をより知っていくなど、幅広い話題に発展するとおもしろい。
- これをきっかけに根知と西海の両谷の交流につながるといい。
等々
※ご参考
先月、西海地区の有志によりワニ口探索を行った時の様子を、西海地区公民館長さんが記述した素敵な手記がありますのでご紹介します。
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駒ヶ岳、ワニロ探索記
駒ヶ岳という山名は、全国に18あるという。一番多いのは、新潟県の4座である。山名の由来は馬であるが、御前山から見る山容はどっしりとしていて、農耕馬の背によく似ている。私はこの駒ヶ岳が好きで10数回登っている。
8月8日(土)うす曇り。簡単な自己紹介をし、「ロッヂこまがたけ」を8時50分に出発。ガイドを含め、25歳から73歳までの6名が、修験者の聖地、ワニ口の上部50数m地点までの探索に挑戦した。
ガイドの水野さん(根知在住)は、主として冬山単独行の登山家である。じようごの口を横切り、登山道の短い梯子右手の第1の沢で小休止。ここはおよそ1,000m地点、涼しい風が下から吹き上げ沢の水でのどをうるおす。ここから一般登山道を離れ、安全第一、緊張感を高めながら9時30分発。岩壁を避けるため沢を渡り、高低差100m近くのやぶこぎである。大量の山ぶどうのつる等に行く手を阻まれ、カマをふりふり、悪戦苦闘である。ここが全行程最大の難所である。10時10分、目印のブナの大木の上部を斜めに横切り、低木の樹林帯に到達した。
第2の沢には少量の水が流れている。水は地下水でなく山肌を流れてきたものであって冷たさはあまり感じない。この沢は難なく渡れた。
第3の沢は、5つの沢で最も幅があり、しかも斜面がきつい。安全のため水野さんはザイルを取り出し、潅木に固定した。ザイルに身をまかせては危険、足元に神経を集中して全員無事に通過した。一斉に拍手である。
第4の沢から第5の沢(通称しま滝)へ。
第5の沢への到達は12時05分で、あった。
予定ではワニ口上部への到達時刻である。水も流れており、涼しさを満喫しながらの50分ほどの大休止とした。昼食をとりながら緊張感から解放され、沢筋に咲く草花に一層の涼しさを感じることができた。
沢を横断する時、最も気を使うのほ、どこから降りてどこを渡り、どこで登るかである。特に山行に慣れていない人が同行する場合、足場と手でっかめる濯木等の距離を測り、木の生え具合まで見極める。
各々の体形まで考えてルートを決定する。ガイドの水野さんはあらゆることを想定して慎重にルートを見定める。このルートの見極めに時間を費やす。従って、一行はガイドを全面的に信頼しての探索となったのである。
12時55分、第5の沢を後にし、目的地に向かう。およそ1,120m、探索行程の最高標高地点から最後の難所である。斜面が急でありつかまる潅木もない。ずり落ちると命の保証がない。雑草がかなり生えているので、その草を束ね、手でつかむ。草を束ねてつかまると自分の体を支えるに十分である。13時30分、ついにワニ口上部50m近くの探索目的地点に到達した。到達地点から御前山や西海谷がはっきり見渡せるはずでしたが、あいにく周りは霧で覆われて見ることができませんでした。次回の機会にしたいと思います。本当に残念でした。
水野さんは、5月11日と26日の両日に、私たちが到達した地点より少し下方から40mほどのザイルを下げて、ワニ口に到達している。
現在確認できる水野さんの説明や写真によるワニ口は、横10数m、縦は、人が中腰でやっと立てる程度あるという。その中に縦70cm、横30cm位の砂岩に掘られた12体の仏さんがあったという。その石仏の右手に大きな祠の中にさらに小さな祠があり、その中に木彫りの仏さんが納められている。他に数個の木杯があったそうである。
このワニ口で修験者が修行をしたことは間違いないが、修験者の寝食は、水野さんが確認した数m横にある洞窟であったことは容易に想像できる。山岳修験者の修行の場は洞窟が多いといわれている。駒ヶ岳の岩壁にはへそ穴といわれる洞窟がある。とすれば、他にも修験者がこもった洞窟があったとしても不思議ではないであろう。
13時45分それぞれの思いを抱きながらの帰りの山行である。下りの方が大変である。5つの沢が目安であるが、一つ一つの沢の特定と横切る箇所の選定は、所々の大杉やブナの大木の形状や枯木などで確認する。それにしても大杉は遠くからでも目立ち、要所、要所に林として立っている。天然杉であるか植栽されたものかわからない。植栽されたものであれば想像が広がって面白い。
5つ目の沢は、深く急であり、初心者は、ザイルを使って懸垂下降とした。初めての経験であり、緊張と恐怖で大変であったと思う。水野さんからは、忍耐強くしかも丁寧にサポートしていただき感謝でいっぱいであった。
やはり一番時間を要した箇所は、登山道へ出る第1の沢で、到着は、15時50分であった。御前山到着は、17時00分で予定より1時間30分遅れであった。何よりも、全員元気よく無事に到着出来て、万歳である。又、これからの西海をしょって立つ25歳の若者の参加は、特筆すべきことであった。
18時30分からのはばきぬきは、大いに盛り上がったことはいうまでもない。水野さんからはその場で、ワニ口の写真などから詳しい説明もしていただいた。
後日のことであるが、御前山の又六さんの二代目の方が明治の初め、ワニ口で修業されていたとのことを、現在5代目の田原さん(大野在住)からお聞きしました。修行者の号は、照音というそうです。又、同じく御前山の大前田さんの先代が、小さい頃、ワニ口にろうそくの明りが自宅から見えたとのことも伝えられています。従つてこのワニ口での修行の時期は、祠に記された元治から、1864年と推察され、現在の又六さんのおっしゃることとおおよそ符合します。
又、大前田さんのおっしゃることも合わせると、ワニ口での修行は少なくとも昭和の初めまで行われていたことも容易に推察できます。
修行は夏場ですが、修行者が歩いたルートや食料その他のものをどのルートでワニ口に届けたのかも今後の調査に待ちたいと思います。私たちが探索したルートか林道駒ヶ岳線、しま滝川にかかる新田橋の手前からのものと考えられます。(文責 公民館長 霜野好克)
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山伏や修験者が修行した「ワニ口」。神秘的ですね~
YAMABUSHI and SHUGENNJA was trained "WANIGUCHI" . It is mysterious !
紹介:集落支援員(近藤)
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