今年は7.11水害(平成7年7月11日の姫川流域での大水害)から20年目ということもあり、
1回目の今日は7.11水害の現場にて、当時・現在の状況を勉強します。
※2回目はこちら→平成27年度防災クラブ「災害があった場合の寝場所づくり」!
※この投稿では、1回目の様子を紹介します。大変重要なお話しが沢山あり、長くなりますが、ご覧ください。
13:00 学校出発
13:20 平岩地区 山之坊小学校体育館に到着
※午前中に根知小学校にて創和ジャステックさんより全校生徒にヘルメットの寄贈式がありました。児童たちはそのヘルメットを付けて集合です。(水色と黄色、赤白組で分かれています)
一つ目の会場は体育館。中に入ります。
※山之坊小学校は現在は閉校しており、2002年に根知小学校に統合されています。
思いのほかきれいな校舎内です。体育館内はすでにスクリーンが設置されており、
周りには今日の講師の方々や糸魚川タイムスの記者の方がおられます。
※糸魚川市の集落支援員3名、地域おこし協力隊2名も参加させていただきました。
講師は平岩在住の戸沢さんです。
まず当時の状況を10分ほど見て、その後お話しをお聞きします。
すさまじい川の様子です。
17時くらいの様子から、徐々に大荒れに荒れていく様子がよくわかります。
すさまじい映像のあとだからでしょうか、静まり返った体育館で、
戸沢さんのお話しがはじまりました。
13:40~
■講師:戸沢さん(当時、消防団として対応されていた)
※以下、戸沢さんからのお話し
当日の様子
・午前中は通常の雨、少し降っているなという感じだった。
・昼過ぎからバケツをひっくり返したような雨(50mm/h)。消防団3人で見回りをはじめた。
・16:30ごろ。「ガラガラガラ~」と大きな音が響いて、線路の石が流れ始めた。急いで車で集落を回って避難指示をだした。
・すでに道が崩れて車が通れない場所がでていた。
→電話も通じず、消防本庁に連絡できず。
・山之坊小学校体育館に、住民の中には自主的に避難してくる人も多く、そのうち温泉のお客さん、各工事関係者も集まってきた。
→250人がこの体育館にいた。もうギチギチだった。
・夕方おなかがすくころ炊き出しをした。
・消防団は体育館に1名、残り2名が見回りをした。全員が避難していた。
→全員避難がスムーズだったのは、地域がしっかり隣近所、集落の人達を互いに把握していたことが大きい。
・夜9時に停電で真っ暗。消防団3名を中心に家々からローソクをもってきてろうそくの火で過ごした。
・夜11時ごろ。ドーンという大きな音。どこかの家の屋根が近くの線路のあたりの木に引っ掛かった音。
→それを見てみんな眠れなくて一晩中、川の様子を見ていた。
翌日からの様子
・アマチュア無線を積んでいる車があり、それを使って大野経由で本庁と連絡が取れた。
・翌日12日の昼ごろ。救助ヘリがきた。
・200人以上の避難。報道ヘリも避難に使った。
・それでも間に合わない。自衛隊の30人乗りのヘリを呼び、3,4回それも使ってようやく避難完了した。
・上刈公民館なども避難所に使い、1週間そこで生活した。
・そのうち「家が心配」という声が増えてきて、消防団が順番に現地に戻り、ガス栓など火の元の点検をして回った。
・次の年の4月。この山之坊小学校体育館で卒業式をやった。そして再開。
※山之坊小学校はH13年度に閉校。小滝小学校はH11年度に休校、H13年度に山之坊小学校と一緒に閉校。
最後に
・改めて振り返ると、強く印象に残っているのはリーダーシップ。このような災害では、リーダーの判断(タイミング、スピード)が本当に大切だということをしみじみ理解した。
===戸沢さんからのお話し以上===
13:55 少し休憩
廊下に「友情の木」という寄せ書きが貼ってありました。
山之坊小学校の児童が糸魚川小学校に避難して、復旧が進み山之坊小学校に帰るときに、糸魚川小学校の児童が書いたものでした。山之坊小学校の児童は本当に心細かったと思いますが、心のこもった言葉が続いて、子供同士のあったかい交流がされていたことが想像されます。
14:05
大滝さん(松本砂防事務所)から土砂災害についての基本知識を教えていただきました。
14:05~14:35
7.11水害は、姫川流域だけでなく、新井(現在の妙高市)や上越にも大きな被害を与えました(関川流域)。ここでは、この水害全般の当時の様子や、水害に対する知識を教えていただきました。
以下、大滝さんさんからのお話し
・当日ピークは55mm/hの雨。
・復旧工事5700人の消防団(糸魚川、上越、新井)
・7月13日早朝に自衛隊救助要請
・住民が戻れたのは5か月ぶり、12月だった。
・姫川は80メートルで1メートルの傾斜という全国でも有数の急流。
土砂災害について
・土砂災害は3種類。「土石流」「がけ崩れ」「地すべり」
土砂災害の前兆3つ
・雨が続いているのに川が減る。
・上流から木などが流れてくる。
・山なりがする。
雨の状況と雨量の関係
・通常の雨、ザーザー…10mm/h
・どしゃ降り…20~30mm/h
・バケツをひっくり返したような雨…30~50mm/h
最後に
・松本砂防のホームページから各河川の様子がリアルタイムでわかるようになっているので見てください。
14:40
続いて、映像の中でヘリコプターで救助されインタビューされていた方が実際に会場にいらっしゃるということで、その方(白馬観光ホテルに避難して13日の夕方に避難できた)に当時の様子、その後の復旧作業についてお話しをおききしました。
以下、古畑さん(創和ジャステック)のお話し・山之坊の避難者は12日に救出されたが、白馬観光ホテルに避難した人たちは高台ということもあり救助順序の都合で13日に救助されることになった。
・自分は大所での川の工事をしていて、午後5時に避難開始したが、大所川の下流はもう溢れていて通ることができなかった。下には逃げられない状況。そのため大仏のある白馬観光ホテルに避難した。
→総勢70名程が避難した。
・水も電気もすべて止まっていた。
・食料は足りなかった。12日の朝食べた後、昼と夜は食べられなかった。
・13日の朝、自衛隊から緊急物資がヘリで届いた。
→カップラーメンだった。
・水も電気も火もないのにカップラーメン…そのまま砕いて食べた。味はなかった。
・13日の夕方に大型ヘリがきて救助された。
気づいたこと
・川の流れが変化すること。(おそらく土砂の流れの変化により)左側が強くなったり、右側が強く流れたり、大きく左右に流れの強さが移動する。それにともなって橋もずれたり、戻ったりする。
→実際の水害でこのような状況、事象が発生することは、このときはじめてわかった。
大峰峠の工事の様子
・月曜日の5時に高浪の池に集合し、歩いて現場に行った。
・平日は事務所に寝袋で泊まって週末に帰って、また翌週の月曜日から現場に泊まる。
・水害当日に工事で使っていた重機(バックフォー、パワーショベル)がたくさんあって、それを使えたことは大きい。
・7月からの半年間このような生活をして復旧工事をして12月に地元の方々が戻れるようになった。
14:50すぎ
貴重なお話しをいただいた3名の方に、児童を代表してお礼の言葉をお伝えし、
全校生徒みんなで「ありがとうございました。」
最後に校長先生のお話しです。・みなさんに山之坊小学校の体育館を見てほしかった。
・山之坊小学校の(閉校になる前の)最後の生徒は根知小学校で卒業している。
・根知小学校と山之坊小学校は兄弟のような関係。
・当時の状況とそのあとの工事の状況。みんなの命をまもっていただいている沢山の関係者の皆さんのことをしっかり意識してください。
15:00過ぎ
山之坊小学校を後にして、次は蒲原沢慰霊碑へ向かいます。
※あたりを見渡すと、岩肌むき出しの絶壁があり、その下を姫川が水量豊かに流れています。
児童のみなさんも、お話しを聞いた後は、少し違った感じでこの景色を眺めているかもしれませんね。
15:15~
■蒲原沢慰霊碑
※水害の翌年、復旧工事をしていた14人が土砂災害(蒲原沢土石流災害)で亡くなりました。その慰霊碑に到着しました。
慰霊碑の説明をお聞きした後、
葛葉山山腹の現在の工事状況をお聞きします。
※迫力の現場を目の当りにしながらのお話しは、やはり違いますね・・・
■葛葉山山腹の災害防止に向けた工事状況のお話し
以下、創和ジャステックさんからのお話し
・(小学生向けの表現で)自分たちは大きな石や岩などのかたまりが川の下流のみなさんのところに流れていかないように、ふんばって止めるコンクリートの壁(砂防ダム・堰堤)を作っている。
・現場は工事をはじめて20年かかっているが、あと5年はかかる予定。
・実際の工事の現場の砂防ダムには、みなさんの先輩たちが見学にきた記録がある。次回お時間のあるときに見てみてください。
15:40
今日の防災クラブの日程が終了しました。
最後に児童みんなで感謝の挨拶をして会場を後にしました。
大人からみても非常に参考になる、中身の濃い防災学習でした。
内容もわかりやすく、実際の体験されている方のお話しの重さを改めて感じさせられる学習でした。
関係者の皆様ありがとうございました。根知小学校の先生、児童のみなさん、お疲れ様でした。
このブログ記事が少しでも防災のための参考になれば幸いです。
お知らせ:
根知小学校1階にて7.11水害のパネル展を開催しています
→様子はこちらから
翌日報道された糸魚川タイムスの記事です
→記事内容「7・11水害発生から20年、被災現場訪ね学習」
防災クラブ1回目の様子 以上です!
記事:集落支援員(近藤)
0 件のコメント:
コメントを投稿