2015年5月25日月曜日

特集:集落紹介「西山集落」

※以下、振興協議会ニュース2015年0525号の追加版記事の内容を掲載しています。

特集:集落紹介「西山集落」
不定期で掲載するこの特集。今回は「西山集落」です。
お話をお伺いしたのは内藤さん(栗山)。ありがとうございました。
※聞き手は集落支援員、近藤です。
■西山集落の概要
・明治22年までは西頸城郡西山村という109人。19世帯(『角川日本地名大辞典新潟県』より)
・西山集落の最大世帯数は12軒。昭和の後半は2軒で、サイの神は小さなものを作ってやっていた。昭和60年に内藤さん1軒になり、平成5年まで10年近く1軒で西山集落に住んでいた。
■祭や行事、風習
・盆踊りは内藤さんのお家の裏(高台)の広場でやっていた。昭和50年ごろまで、お宮は西山村の下のはずれにあった。その後、人がいなくなったため維持ができず、村の入口(上)の西山公園横に移築した。
・子供の頃、お祭りのときに子供達がみんな集まって、お宮で食べ物を手のひらにのせてもらい、汁を垂らしながら食べた。これがとても楽しみだった。
・いまでも毎年7月の第1日曜日、西山公園に集まって祭をやっている(昨年は11軒集まった)。
・サイの神は親子2体作っていた。消防団の人からキャラメルをもらうのが楽しみだった。
・小学校のときは、「火の用心」を20人くらいの子供達で集落をまわっていた。大前への急な坂を大八車にのせて物資を下げていた。とても大変だった。
・西山では「おかい番」(栗山の「ご晩さん」、今井の「お炊き番」と同じ)や春に「ごまんさん」というのをやっていた。
■西山集落から小学校、中学校への通学の様子
・当時のスキーはただの木の板。茹でて曲げて手づくり。そのスキー板に長靴を固定して滑っていた。
・西山から蒲池小学校まで。大人で夏は20分、冬は1時間くらいかかった。
・西山から根知中学校(今の公民館近くの場所)まで、夏で行きは50分、帰りは1時間。冬は毎日どんな天気でもスキーで、行きは30分、帰りは1時間30分。冬は峠までスキーを担いで滑る。
・通学の時男女別々。男子は学年超えて一緒に通学していた。蒲池で合流して、蒲池の子供達とも一緒に中学校に通った。
・男子は途中の畑からスイカを拝借したりした。取り役、見張り役、中継役。(女子はやらなかった)。
・中学のときは10月から2月終わりころまで帰りは道が真っ暗になる。おばけ遊びをした。
・よほどの荒れた天気でなければ、たいていは子供達だけで小学校も中学校も帰った。
・中学校のときアルバイト(本当はしてはいけないけど)をした。炭焼きした炭を大八車に載せて子供5人くらいで朝早く西山を出発し、蒲池小学校あたりに大八車をおいて中学校に通った。脱輪してはずすのに半日かかって、中学校の先生に大目玉をくらったこともある。
・小学校のころは、西山の尾根伝いの小滝側「しばくら向き」と根知側「そで向き」の子供達の間でよくケンカした(女子)。新しくできた道をどっちが先に通るか、といった子供らしい事で。
■お店、医者
・お店は玉橋さんでバナナのお菓子を買ったりした。とてもおいしかった。
・「さんのみや」さんには食品や衣類が売っていた。買い物は小滝のお店にもいった。
・医者は西山では小滝の診療所のほうを使うことが多かったと思う。
■西山集落と動物
・西山の12軒みんな総出でウサギ追いをやっていた。スキー場の裏の信越用水あたりまで追い上げて捕る。
・時々、飼っているニワトリをさばいて食べた。さばいているところを子供も見る。うまかった。
・牛は西山でもみんな飼っていた。昔栗山に農協さんがあったけど、そこの柿木のあたりに出張の獣医さんがきて注射をしてもらったりした。帰りは牛にひかれて西山へ。
・今ほど動物被害はなかった。山に田畑があったし、人が山に出入りしていて、動物は近寄らない。
■子供の遊び
・縄跳び、ゴムとび、おはじき、ビー玉、お手玉、銀杏、桶の輪まわし、手作りの車、「おちゃんど」(落とし穴。ターゲットは郵便屋さんなど…)、スキーなど道具はみんな手作り。
・竹笛や椿の葉笛、木の枝に葉を挟んだ笛。葉っぱを両手の親指の間に挟んで鳴らす笛。針金鉄砲(玉は竹)。みんな自然のものを使って手作りで遊んでいた。
・「じんつき」…親が後ろ向いて、誰かが頭をつっついて当てる。当てられたらその人、当てられなかったら鬼が「つかい」(あそこのだれだれさんに「ご苦労様です」と言ってくる等)をしている間に隠れる。
・3月にはしみわたり。おしりで滑って行って、帰りに(あまりの大変さに)泣いて帰ってくることもあった。
・あと「目玉おとし」。かんじきをはいて歩いていると、踏んだところが「コロッ」とまわり、転んでしまったりする。
- 集落紹介「西山集落」 以上 -

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