2015年5月31日日曜日

大糸線で花いっぱい運動

根知、袴岩周辺の大糸線脇にタチ葵等を植えました!
サッカークラブの子供たちが、頑張ってくれました♪キハにも手を降りました♪

2015年5月30日土曜日

根知・西海地区公民館 コラボ企画!「歴史講座」がありました(^^)

今日5月30日(土)は根知地区公民館行事の毎月恒例、歴史講座。
しかし、今回はいつもと一味違います。
西海地区公民館とのコラボ企画です。
※以下は西海地区公民館だよりの紹介記事。ドキドキしますね(^^)

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根知・西海地区公民館 コラボ企画!
~謎解きミステリー~「玄関の方角の秘密」
日時:
13:30~根知公民館集合
14:20 頃~御前山観音堂
(16:30 頃解散)
講師:田野正信
【内容】
根知…上野・梨ノ木に昔からある民家の玄関が、
全て同じ方角(西の特定の方向)を向いている
御前山…御前山観音堂が、能登の石動山天平寺
の方角に向いているという説があるので、それ
を検証する。
※現地集合です。参加費は無料で、申込みも不
要です。興味のある方は、是非ご参加ください!
(御前山のみの参加でも OK です。その場合、
14:20頃に御前山観音堂へお越しください)
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さっそくミステリーを解きに根知地区公民館を出発です。
(ちなみに根知小学校では運動会午後の部が始まっています)

梨の木の家々を巡りながら、玄関の向きについて検証をしていきます。
本当にどっぷりと推理の世界に入っているみなさん。本格的です。
結果は・・・「ちがう」となりました。天平寺のほうを向いているとは言えないずれがありました。
※しかし、後日別の資料によって、なんらかの関係がある可能性が高いことがわかりました。ただ、当時のことであり、正確にその方角を向けて建設ができなかっただけではないか、という可能性があるとのことでした。

さて、続いて御前山の観音堂へ向かいます。
こちらも正確に天平寺のほうを向いていないことがわかりました。
(上記のとおり、別資料により、天平寺との関係がある可能性はありそうです)
観音堂の中でしばしお話し。
観音堂のあとは御前山の公会堂にて、これまでの結果の整理など。
ミステリーツアーの推理と調査結果の振り返りはそれほどなく(^_^;)、いつもの歴史講座同様、途中から話題が多岐に拡がっていきます。
後半は駒ヶ岳の「ワニ口」について大いに盛り上がりました。
ワニ口についてはこちらから
西海から参加された方のひいひい爺さん(?)が駒ヶ岳の修験者だということで、その言い伝えなどの紹介もありました。(駒ヶ岳のワニ口、ブレイクするかな?)
公会堂の外に出て「あそこかぁ」と確認もしてみます。
このあたりは一面の見事な田んぼだったんだよ。
あのあたりは昔はウサギが持ち帰れないくらい捕れたんだわ。
西海谷、素晴らしい自然です。(帰りに西海谷を下ったのですが、あちらこちらで息をのむ美しく素晴らしい景色が見られました)
その後、予定にはなかった史跡めぐりへ。
(根知と西海のコラボ。なんだかいつも以上に歴史のリンクがつながって、興味が広がっていくようです)
この後も、「よし、せっかくここまできたんだから、次はあそこに行こう。」「今日は夜まで歴史漬けだ」なんて声も聞こえてきます。(私は時間の都合でここで失礼しました。残念!)
このような興味のある分野での他地域との交流、一緒の活動、一味ちがいますね。予想以上の盛り上がりでしたし、人と人もより深い交流となったように感じます。素敵な時間でした。

記事:集落支援員(近藤)

2015年5月26日火曜日

糸魚川・北小谷 地域おこし協力隊・集落支援員意見交換会

糸魚川、小谷の両行政がまたがる形で隣接する平岩、姫川温泉地区に、5月に糸魚川市、小谷村で地域おこし協力隊が着任しました。
その顔合わせを兼ねて、大網にて(いつもの集落支援員、地域おこし協力隊交流会の延長で)意見交換会を行いました(今回は両行政の管轄部門長も参加)。
互いに地域づくりプラン(小滝の「地域づくりプラン」、大網・姫川温泉の「再熱プラン」)が策定され、その実施にともない、より深い連携をしていくための意識合わせも兼ね、積極的な意見交換ができました。
下の写真は、小谷村大網の地域づくり応援団事務所にて
午後は定期的に行っている(主に根知地区担当、大網地区担当の)集落支援員、地域おこし協力隊による意見交換会。
各担当地域の状況を報告して、これまで2年間にわたって続けている相互地域交流の今後の方針を話し合いました。
→昨年11月の地震で、交流が一時ストップしていましたが、今年は再開したいね、という想いで一致しました。昨年6月のように、北小谷のみなさんを根知へ招待するときの内容は「昨年大好評だったみはらし荘での笹寿司、漬物での交流会」「そば、うどん」「輪投げでの老人会との交流」などをベースに検討することになりました。
※昨年の様子→小谷村のみなさんとの交流会

定例会のあと、高橋さん(集落支援員さん)の提案で、大網の再熱プランの中心的な存在となっている「くらして」メンバーとの交流を行うことが出来ました。
「くらして」さんは、手植えの田んぼ、畑、狩猟、炭焼き、田舎体験ツアーなど考えられる限りの活動を行っています。この「くらして」が体験交流施設「つちの家」の指定管理者となったところに再熱プランもはじまり、より積極的な活動が展開されています。
このときも全国から宿泊者、一緒に長野でイベントを行う提案者との会議、田植え手伝い、等々で若者たちが10名ほど集まっていました。とても居心地がいい雰囲気です♪
今回は時間もなく、挨拶としばらく様子をうかがいながらお話しさせてもらって失礼しましたが、この「くらして」の活動の方向は、今後の若者による地域づくりの一つの参考ケースとなりそうです。
以上です(^_^)/
記事:集落支援員(近藤)

2015年5月25日月曜日

根知振興協議会ニュース 2015年5月号(No.14) 発行しました

根知振興協議会ニュース第14号を発行しました。
※根知地区全戸に配布されます。

電子版(カラー版です)はこちらからご覧ください。

電子版_201505号_表_根知振興協議会ニュース
電子版_201505号_裏_根知振興協議会ニュース
みなさんのご意見、ご要望をお聞かせください(^^)!

事務局:根知地区公民館内
025-558-2002
nechiko@city.itoigawa.niigata.jp

皆さんにインタビュー 201505-③ (根知在住:Uターン)

※以下、振興協議会ニュース2015年0525号の追加版記事の内容を掲載しています。

インタビュー③
根知在住
高校卒業まで根知で暮らし、しばらく首都圏に行かれた後、Uターンされた方にお話しをお聞きしました。
--------根知に戻られて最初の感想は?
驚いたことは、稲刈りをスニーカーを履いて行い、手伝う内容も随分とかわったことでしょうか(機械化がすごい!)地域活動(花植え)が盛んでいつも心、和ませてもらっています。
道路がとても良くなり、除雪環境がとてもよくなっていました。
--------根知、糸魚川の課題は?
大古の時代より争い事がなく穏やかな土地柄で海、山の幸に恵まれ住環境にはとても良いところです。その反面、他の市町村の方と話をする機会があり糸魚川は変化がなく、閉鎖的なところだよねっと言われたことごあり、こんな見方をする人もいるんだなと思ったことはありました。
根知地域内で様々な会があり、それぞれの活動を行っていくことは、大変なことだと思います。役員さんだけでなく、地域全体で盛り上げていけるよう、関わっていけたらと思っています。
--------根知に戻ってこれまでに一番強く思うことは?
戦中、戦後、高度経済成長と激動の時代を乗り越えてこられた方々から色々な話を聞くと大変だったんだなぁと頭が下がります。また今は高速化の為、働き方も変わってきており、以前のやり方では地域活動も出来なくなってきているのが現状ではないでしょうか。
伝統の継承と新しいものの融合で根知地域全体で盛り上げていけたら良いかなと思っています。その為にも色々な事に捕らわれず、話せる場があっても良いように思います。

※お話しをお聞きして、若い方も年配の方も、お互いにそれぞれの立場で思っていることを素直にお話しができれば、いろんな疑問がスッと解決するのかもしれないと思いました。
聞き手:集落支援員(近藤)

※集落取材やインタビューについてのご意見をいただければ幸いです。
事務局(公民館内)まで。

皆さんにインタビュー 201505-② (根知在住:女性(80代後半))

※以下、振興協議会ニュース2015年0525号の追加版記事の内容を掲載しています。

インタビュー②
根知在住:女性(80代後半)
「結婚してここにきたが、一番寂しいのは駒ヶ岳、雨飾山が見れなくなったこと。当時は結婚は親の言うことをきかないといけなかったからねぇ」
ちょっとした立ち話からお話しが展開し、思いがけず貴重なお話しをいただきました。
--------子供の頃について教えてください
小学校のときは毎日兵隊送り。学校が終わると兵隊にいった留守家族の百姓の手伝いをした。
学校終わったら根知にはおられん。お国のためにとにかく働くという空気だった。戦争は絶対に負けんという想いが頭にあった。
16歳で愛知県の三ノ宮紡績へ行ったが空襲が激しくなって、17歳ごろは三重県四日市の紡績工場に移って働いた。ここで人生一番の薬になったことがある。体操の工場代表12人の一人に選ばれ県大会に優勝、メダルをもらい翌年の明治神宮での全国大会に出られることになった。着る服がなく実家に連絡したところ「それならやめなさい」という返事。逆に服がなくても絶対に出ようと心底奮い立った。いまでもその時のことは鮮明に覚えている(結局、18歳のときにさらに戦争が激しくなって根知にもどってきたのだけれど)。
その後終戦になったが、それまで「銃後の守り」。とにかくお国のために働くことしか頭になかった。
戦後数年間は着る物ない、食べる物ない、何もない、どこに行っても何もない。今の日本は大災害といっても生活できる、着るものも食べるものもある、あのころに比べたら比べられないくらい幸せなことだ。
--------当時の根知について
戦後しばらく、根知では、生の魚、肉は糸魚川のお店に行かないと買えなかった。車は根知で1、2台。おおかたは汽車に乗っていた。戦争当時は、木炭バスが走っていたっけ。
終戦翌年に盆踊りが再開されたと思う。
--------これまでの人生で一番幸せなことは?
若い時は本当に本当に何もなかった。「食べたい」という気持ちしかなかった。幸せねぇ…楽しかったことで一つ思い出すのは、ようやく50歳を過ぎて、子育てが終わって(昭和55年頃)孫もできて、東京に遊びに行ったことかな。

※戦中、戦後、10代、20代に言葉に尽くせない苦労を経験されて、必死に生きてきた状況が鮮明に伝わってきました。今の日本の豊かさは当たり前ではない、このように苦労されてきた方々の生き様が積み重ねられてきていることを改めて感じざるを得ません。
聞き手:集落支援員(近藤)

※集落取材やインタビューについてのご意見をいただければ幸いです。
事務局(公民館内)まで。

皆さんにインタビュー ① (根知在住:男性(70代後半))

※以下、振興協議会ニュース2015年0525号の追加版記事の内容を掲載しています。

インタビュー①
根知在住:男性(70代後半)
4月にお話しをお聞きしました。公営水道、圃場のお話しから「水」に話題が移りました。
--------「水」について
東中はしまたけの水しかない。夏は枯れることもあって苦労している。今も東中はポンプアップが必要で金がかかる(その中で仁王堂は水が豊か)。
昔は夜中に水の守をやっていた。水について本当に困っていて、信越用水の水をもってこれないか試みたこともある。2年間連続で踏査したが専門家から見てもとても無理な個所があった。
田畑のいい場所は朝日、日当たり、夜露のあるところ。しかも夜露がどっぷりあるところがいい。杉之当はいい。病気にならないものね。
--------子供の頃について教えてください
尋常小学校2年生(8歳)のとき終戦。廣傳寺、勝蓮寺には戦争の疎開者が多数いたなぁ。
食べ物の記憶が強い。「やきもち」は食えたものじゃない。白いまんまにトト(魚)。どんなにかうまかったか。これほどうまいものはなかった。
小学校時代は悪さしたような気もする。ボスがこわい。いうことを聞かないと遊んでもらえないんだから。「あれ盗んで来い」なんて命令もあった。
「まめひき」の日は本当に楽しみだった。「ゆでぼや」(えだまめをゆでる)どこの田んぼの枝豆をとってきてもいい日。東中と栗山で互いの田んぼの枝豆をとろうとする。夜真っ暗の中、東橋の途中でぶつかったりした。
「この豆の味は、どこそこの家のあそこの田んぼのだ」とわかったものだ。
小学校で立たされたら喜んで川へ魚取りに行った。担任の先生は泣いている、校長先生におもいっきり怒られたりした。学校から帰ると農作業を手伝わずに魚釣りにいく。そして夕飯抜きになっていた。
--------昔と今の地域のつながり、コミュニティについて
コミュニティは今はゼロだ。昔は月に2回は常会(全世帯)をやっていた。こなければ怒られた。昔は一人では何もできなかった。田、人足、側溝用水あげ、山の道なぎ、村人足。これらほど大事にしたものはない。一人で勝手に変なこと出来ない。「一人では生活できない」ということが根底にあった。
今は「役やりたくない」ばかり。まったく困ったものだ・・・(なぜそうなったか?)文明がそうさせたと思う。行き過ぎの文明が原因なんじゃないか。

※貴重で面白いお話しを沢山お聞きしたのですが、スペースの都合上随分省略してしましまいた。残念です(できるだけ、別の機会にご紹介したいと思います)。人と人のつながりの今と昔。昔のある意味「否応なし」のつながりと今の個人自由の風潮。どんな地域づくりが今必要とされているのでしょうか。
聞き手:集落支援員(近藤)

※集落取材やインタビューについてのご意見をいただければ幸いです。
事務局(公民館内)まで。

特集:集落紹介「西山集落」

※以下、振興協議会ニュース2015年0525号の追加版記事の内容を掲載しています。

特集:集落紹介「西山集落」
不定期で掲載するこの特集。今回は「西山集落」です。
お話をお伺いしたのは内藤さん(栗山)。ありがとうございました。
※聞き手は集落支援員、近藤です。
■西山集落の概要
・明治22年までは西頸城郡西山村という109人。19世帯(『角川日本地名大辞典新潟県』より)
・西山集落の最大世帯数は12軒。昭和の後半は2軒で、サイの神は小さなものを作ってやっていた。昭和60年に内藤さん1軒になり、平成5年まで10年近く1軒で西山集落に住んでいた。
■祭や行事、風習
・盆踊りは内藤さんのお家の裏(高台)の広場でやっていた。昭和50年ごろまで、お宮は西山村の下のはずれにあった。その後、人がいなくなったため維持ができず、村の入口(上)の西山公園横に移築した。
・子供の頃、お祭りのときに子供達がみんな集まって、お宮で食べ物を手のひらにのせてもらい、汁を垂らしながら食べた。これがとても楽しみだった。
・いまでも毎年7月の第1日曜日、西山公園に集まって祭をやっている(昨年は11軒集まった)。
・サイの神は親子2体作っていた。消防団の人からキャラメルをもらうのが楽しみだった。
・小学校のときは、「火の用心」を20人くらいの子供達で集落をまわっていた。大前への急な坂を大八車にのせて物資を下げていた。とても大変だった。
・西山では「おかい番」(栗山の「ご晩さん」、今井の「お炊き番」と同じ)や春に「ごまんさん」というのをやっていた。
■西山集落から小学校、中学校への通学の様子
・当時のスキーはただの木の板。茹でて曲げて手づくり。そのスキー板に長靴を固定して滑っていた。
・西山から蒲池小学校まで。大人で夏は20分、冬は1時間くらいかかった。
・西山から根知中学校(今の公民館近くの場所)まで、夏で行きは50分、帰りは1時間。冬は毎日どんな天気でもスキーで、行きは30分、帰りは1時間30分。冬は峠までスキーを担いで滑る。
・通学の時男女別々。男子は学年超えて一緒に通学していた。蒲池で合流して、蒲池の子供達とも一緒に中学校に通った。
・男子は途中の畑からスイカを拝借したりした。取り役、見張り役、中継役。(女子はやらなかった)。
・中学のときは10月から2月終わりころまで帰りは道が真っ暗になる。おばけ遊びをした。
・よほどの荒れた天気でなければ、たいていは子供達だけで小学校も中学校も帰った。
・中学校のときアルバイト(本当はしてはいけないけど)をした。炭焼きした炭を大八車に載せて子供5人くらいで朝早く西山を出発し、蒲池小学校あたりに大八車をおいて中学校に通った。脱輪してはずすのに半日かかって、中学校の先生に大目玉をくらったこともある。
・小学校のころは、西山の尾根伝いの小滝側「しばくら向き」と根知側「そで向き」の子供達の間でよくケンカした(女子)。新しくできた道をどっちが先に通るか、といった子供らしい事で。
■お店、医者
・お店は玉橋さんでバナナのお菓子を買ったりした。とてもおいしかった。
・「さんのみや」さんには食品や衣類が売っていた。買い物は小滝のお店にもいった。
・医者は西山では小滝の診療所のほうを使うことが多かったと思う。
■西山集落と動物
・西山の12軒みんな総出でウサギ追いをやっていた。スキー場の裏の信越用水あたりまで追い上げて捕る。
・時々、飼っているニワトリをさばいて食べた。さばいているところを子供も見る。うまかった。
・牛は西山でもみんな飼っていた。昔栗山に農協さんがあったけど、そこの柿木のあたりに出張の獣医さんがきて注射をしてもらったりした。帰りは牛にひかれて西山へ。
・今ほど動物被害はなかった。山に田畑があったし、人が山に出入りしていて、動物は近寄らない。
■子供の遊び
・縄跳び、ゴムとび、おはじき、ビー玉、お手玉、銀杏、桶の輪まわし、手作りの車、「おちゃんど」(落とし穴。ターゲットは郵便屋さんなど…)、スキーなど道具はみんな手作り。
・竹笛や椿の葉笛、木の枝に葉を挟んだ笛。葉っぱを両手の親指の間に挟んで鳴らす笛。針金鉄砲(玉は竹)。みんな自然のものを使って手作りで遊んでいた。
・「じんつき」…親が後ろ向いて、誰かが頭をつっついて当てる。当てられたらその人、当てられなかったら鬼が「つかい」(あそこのだれだれさんに「ご苦労様です」と言ってくる等)をしている間に隠れる。
・3月にはしみわたり。おしりで滑って行って、帰りに(あまりの大変さに)泣いて帰ってくることもあった。
・あと「目玉おとし」。かんじきをはいて歩いていると、踏んだところが「コロッ」とまわり、転んでしまったりする。
- 集落紹介「西山集落」 以上 -

2015年5月24日日曜日

駒ヶ岳の「い」の字

いよいよ駒ヶ岳の「い」の字がくっきりとしてきました!!子供の頃、これが消えないと川で泳いじゃダメでした(^_^)v

2015年5月23日土曜日

第2回の姫川流域懇談会が開かれました。根知、小滝、今井、大野地区の代表メンバーが小滝に集まりました。

5月23日(土)
小滝公民館にて第2回目の姫川流域懇談会が行われました。
参加者は、今回も小滝・根知・今井・大野から各5,6名が参加。今回は各地区の公民館長にも声をかけ、さらに充実した姫川連合での地域づくりの可能性について話し合われました。
1回目の様子はこちら→姫川流域交流会

16時から参加者同志の自己紹介から始まり、
・各地区の課題、想いなどを資料をもとに発表
※根知地区からも7名が参加。振興協議会の事業計画を中心に紹介し、活発な話し合いの一翼を担いました。
・全体で今後の流域の発展のための協力について話し合い
等の中身の濃い、熱の入った内容となりました。
また、1回目同様、富山県の南砺市の「地域づくり交付金」(住民を主体とした地域内分権の取組みとして使い道は各住民自治に任せる制度)などの参考情報の紹介もありました。

これからの地域づくりのための活発な話し合い。

2015年5月22日金曜日

根知の薪窯。炎の芸術 穴窯「雪割窯」の焼成が順調に進んでいます。

今年も根知の三大陶芸の一つ、雪割窯にて焼成が始まっています。
5月17日(土)、18日(日)で窯詰め、
19日(月)~23日(土)まで焼成、
5月31日(日)に窯だし、のスケジュールです。
今年も炎の芸術が見られます(^^) お時間あれば是非皆さん見学に行ってみてください。
※昨年の様子です

炎の芸術 薪窯「雪割窯」(穴窯)の焼成中です
雪割窯 続きです。 1300度超えて、炎の色が白く光っている・・・

5月19日 お昼すぎ
まだ焼成が始まって2日目。窯の温度は400度前後
窯の中も良く見えます(まだそれほど熱くないので)
煙突からの煙もまだ落ち着いています。
 駒ヶ岳を望む絶好のロケーションに雪割窯があります。

5月22日(金) お昼前
1200℃を超えると、窯に近づいていられません。
ふたを開けた時の熱気は、向けたカメラのレンズがだめになるのですぐに撮るか、離れて望遠での撮影になります。全身を綿の衣類で囲まないと(フリースなんて近づいたときに自然発火してしまう危険あり)やけどします。
数秒も直視していられない灼熱の世界
不思議とこれだけの高温だと、炎の動きが非常にゆっくりに見えます。とても不思議な光景。
皮の手袋をつけて薪をくべないと、距離が50センチ以上離れているのに手が燃えてしまいそう。
温度のピーク、白い炎の世界は今日の夜あたりでしょうか。
今回はどのような人為を超えた変化が現れるのでしょう。
根知の自然と炎が生み出す作品、楽しみですね(^^)

記事:集落支援員(近藤)

狩猟免許の勧め 今年も田畑の季節が始まっています!

昨年の獣害被害が思い出されます。地域の力で大切に育てた作物を守りましょう。
その一つが狩猟免許をとってのワナによる対策です。
以下、これから準備する場合のお勧めの「狩猟免許への道」プランです。
◆ステップ1:狩猟免許取得希望者講習会 7月25日(土) 糸魚川地域振興局
◆ステップ2:狩猟免許試験 9月13日(日) 上越地域振興局健康福祉環境部
※狩猟免許取得費用(収入証紙代)の全額を補助する制度もあります。
※申込み期限やその他スケジュールについては、ネット検索や市環境生活課(552-1511)まで!

記事:集落支援員(近藤)

2015年5月19日火曜日

根知の陶芸家を紹介③! 「河童窯」

昨年の11月号では地域の顔、商店を紹介しました。
今回は根知の3人の陶芸家の皆さんを紹介します。
3名とも大変魅力的な特徴ある作品を作られています。根知の宝の一つですね。
※本投稿は3つのうちの一つ 「河童窯」 を紹介しています。

 「河童窯」
河童やお地蔵さんの作品をはじめ、各地域の民話の世界を再現した幻想的な作品も特徴的です。
「私はかわいい河童を生み出すことで、大人や子供達に仲間をいたわる優しい心の持ち主になってもらいたいと願い、毎日作陶を続けています。」
体験随時募集中!
お電話:090-5395-9208 まで。
河童やお地蔵さんの作品が多いですが、
各地の昔話、民話の世界を圧倒的な規模で表現した作品群も必見です。
(写真がないのが残念・・・)
昨年8月に根知に引っ越してきたばかりの野崎さん、
これから根知の自然や伝統、民話からヒントを得た、素敵な作品を沢山生み出してほしいですね。
記事:集落支援員(近藤)

根知の陶芸家を紹介②!「里山工房 穴窯 雪割窯」

昨年の11月号では地域の顔、商店を紹介しました。
今回は根知の3人の陶芸家の皆さんを紹介します。
3名とも大変魅力的な特徴ある作品を作られています。根知の宝の一つですね。
※本投稿は3つのうちの一つ「里山工房 雪割窯」を紹介しています。

「里山工房 穴窯 雪割窯」 
お2人目の根知陶芸家は水野英夫さん(上野)。
上野集落に工房里山を構え、上沢に向かう山中に窯を作った水野さん。その作品の特徴は薪窯の一つ「穴窯」。手間暇をかけ自然釉(灰の力)による人為的には作れない変化のある作品(破れ壺等)を追求しています。
体験随時受付中。費用は体験で一回一時間材料込で1,000円(焼成代別)。教室は要相談。
お電話:025-558-2980 / 080-6599-7952
薪窯ならではの炎の世界。1300℃の世界はオレンジではなく白い灼熱の世界です。
↓下は昨年のピーク温度時の色
ご自宅には工房里山として作品群を常時展示しています。
雪割窯は工房から車で5分ほど山に入った自然の中。雰囲気も素晴らしい。
 人為的には作れない作品群が特徴です。
また、動物や魚などの生き物をモチーフにしたもの(下の魚の作品はイワナ酒を作る容器)、
絵も描かれるということで、釉薬を使った絵画的な作品もあります。
根知の自然が生み出す芸術、是非ご覧になってみてください。
記事:集落支援員(近藤)