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2015年7月25日土曜日

皆さんにインタビュー 201507-② 根知在住:女性(30代)

※以下、振興協議会ニュース2015年0725号の追加版記事の内容を掲載しています。

インタビュー②
根知在住:女性(30代)
学生・社会人として東京・埼玉に住んだ後、昨年戻られて1年が経つ方に感想をお聞きしました。
---根知に戻ってきて一番の印象は
一番は四季がはっきりあること。春…田植え、土、カエル、夏…ホタル、秋…稲刈り、冬…雪。当たり前だと思っていたこの「四季」が本当はあたりまえじゃないということが一番実感すること。これは実は宝物なんだと思う。東京などにいる同級生の中では、虫やカエルが嫌だ、雪が嫌だということで「帰りたくない」人もいる。「帰りたい」という人の中には、仕事の都合、家を買った、結婚を予定している、等で帰れない人もいる。
それと「しつけ」。子供の頃、掃除すること、道や家の周りをきれいにすること、ちらかさない、など親だけでなく近所の人からも教えられた。そういう「しつけ」の部分、当たり前の部分が東京では当たり前ではない。そのあたりも根知のほうがいいな、と思った。
東京ではやはり「自分が良ければいい」という風潮も多い。一緒に協力して日々の生活を過ごすということも根知のようにあたりまえではない。それに方言も好き。ほっと安心する。
テレビや本などで「都会と田舎のちがい」「田舎の良さ」をきいてきたが、今「本当にそうだな」と実感している。

---要望、こうすればもっといいのに、という所は
一言でいうと「街中で顔が見えない」。バスや電車を使う人が少なくてみんな車。なので根知でも糸魚川でも道端やあちらこちらに人がいない。自分は歩くのが好き。だけどバスや電車を使うためには、その時刻表を意識しないと利用は難しい。行事では、電車・バスの時刻を意識したスケジュールだといいのではないか。
そして、なんといっても、今一番つらいのは、夜仕事終わって仲間と飲めないこと。「あ~仕事終わった。一杯飲んでいきたい!」と思っても、電車、バスの時間が早すぎて安心してゆっくり飲めない。仕事帰りに仲間、友人と飲んで、夜遅くてもお酒を楽しめるような地域だとうれしい。

---根知でも若い世代が街に出ていく。どうしてでしょうか
ひとつは子供の教育環境ではないか。自分が根知小学校のころは一クラス20人以上いたが、自分の子供には同級生がいるだろうか…と思うと、(将来子供が出来たら)大勢いる学校に通わせたいと思ってしまう。
もう一つは三世代同居の難しさもあるのではないか。
個人的には、自分は歩いたり自転車での生活(買い物や子供の通学等)が可能な所で住みたいと望んでいる。なので街に住みたいという動きも理解できる。

---移住者の受入についてはどう思いますか。賛成ですか
私は積極的に受け入れていいと思う。トラブルも、それはそれで新しい風、一つの変化だと思う。それでお互いに新たな気づきがあるのではないか。そういうことがこれから必要なのではないか。

---ベルリングガールやキャンドルロード、チーム姫川(綱引き)など、「楽しむ」グループはなぜ続いているのか
ベルリングガールの場合は、リーダーや中心メンバーがポジティブな考え方をしていることではないか。同じ事にも、ポジティブな見方をしてやるか、「義務」「必要だから」といった考え方でやるかで、モティベーションも継続性も変わる。それに、みんなで集まっておしゃべりすること自体が楽しい。

---最近は引きこもりがちな若者が多いと言われるが
同じ世代の横のつながりが少ないような気がする。根知では高校卒業するとパッと散る感じなので、一人で根知に戻ってきてもなかなか会う場も人もいない。若者同士が繋がれる場がもっとあるといいと思う。

-----以上-----
※一番の要望は「仕事帰りに飲める環境」。移住でのトラブルも「新しい風」。何度も唸りました。やはり地域づくり活動は、若い世代の発想、力が必要なんだと感じた次第です。
聞き手:集落支援員(近藤)

※集落取材やインタビューについてのご意見をいただければ幸いです。事務局(公民館内)まで。

皆さんにインタビュー 201507-① 渡辺酒造店六代目渡辺吉樹さん

※以下、振興協議会ニュース2015年0725号の追加版記事の内容を掲載しています。

インタビュー①
渡辺吉樹さん
素材へのこだわり(根知谷産100%の酒米、水)、米収穫年や産地のラベル明記、自社栽培。次々と新しい試みを続ける渡辺酒造店六代目の渡辺吉樹さんにお話しを伺いました。
---まず、「これだけは言いたい」ということをお願いします。
一番大事なことは根知に住む一人ひとりが「自分が何をしたいのか」「ここでずっと暮らしたいのか」「子供にはどうしてほしいのか」を考え明らかにすること。
今の地方の課題は、行政がなにかやって解決する問題ではない。
根知全体を考えて行動する人が増えていくこと。例えば根知地区全体を一つの会社としてみてみると、今の根知に必要なことが見えてくるかもしれない。
重要なのは日々の生活での実感、満足感。突き詰めていくと、一人ひとりがまずはどうなっていたいのか。それが実現するためには集落はどうなっている必要があるのか。集落がそうなるためには根知はどうなっている必要があるのか。
昔はみんなつながっていた。田んぼの維持、用水の管理、地域と個人の利害が一致していた。現在は「金」があれば「つながり」「めんどう」をしなくてよくなった。表面的には個人主義でやれるように見える。だけど、本当は現在もつながっている。自分が本当にやりたいことを追求していくとすべてに繋がっていく。

---渡辺さんご自身はどうされたいのですか。
私はここでやりたいことをやっていきたい。ここでずっと暮らしたい。「ここ、根知にいたい」という人達みんなで意識がまとまれば何でもできると思う。そして心の底では「ここで」という人が多いような気がする。だって根知は宝の山。眠っているだけ。金だけ考えれば東京には勝てないけれど、他の面から考えれば、根知はもっとずっと魅力的にできる。
根知には土地、水、山、エネルギーになるものがたくさんある。雪も冷熱として考えるなら活用できる。
根知では「食」はもちろん、「エネルギー」も今の技術ならほぼ自給できる

同時に若者の雇用も大切。機会あるごとに企業経営者の集まりで、若者のための雇用を作ってほしいとお願いしている。高齢者のための福祉も大事だが、若者の雇用がないと、子供が生まれない、若者が帰ってこない。でも単に仕事だけでは難しい。魅力あるここ「根知」の生活の中での「持続可能な仕事」が必要。
根知、なるべくここで完結できるしくみを目指すこと。そうすれば本当に日々の生活での実感が湧いて来るし、私の場合は社員の生活も保障できると思っている。

もう一つの大事なことは「世代の継承」。ベテランから若手への知識、ノウハウ、歴史の引き継ぎ
70代以降の方々は一番物事、知識、歴史、地域のなりたちを知っている世代。
60、50、40、30代それぞれ違う。断絶があるが、まずは70代からの下の世代への引き継ぎがすぐにでも必要。

新潟県の酒造は約120社から28年たって90社になった。多くのうまくいっていないところをみると、方向性が間違っていることが多い。
例えば「同じ味を守る」というのがあるが、酒造りは自然相手。毎年ハラハラドキドキで同じことがない世界。それを同じ味といっても、本質的に違うのだと思う。お客様も、10年、20年単位でみると嗜好の変化が出てくる。
また、酒造りの手法、理論は江戸時代に完成しているが、その当時は物流が船中心であり、良質の材料が入りやすい京都伏見などが酒造りの中心であった。それ以外の地方酒蔵は地元の米を使っていた。それが現在は交通網が発達し全国どこの材料も使えるようになり、集中化、効率化、大量生産の流れがあり、機械も技術力も発達している。
こういう酒造りの歴史、社会の状況の推移からも、世代・歴史の継承の大切さがわかる。

---アメリカやイギリス、諸外国との交流が多い中で、日本と諸外国の違いをなにか感じますか
本当に大きな違いを感じるのは取材での質問。外国人は質問攻め、これは徹底している。
日本では聞くのは恥ずかしいという想いがある。また人に聞くスキルを鍛える機会も少ない。
欧米人はわからないことは何でもきく。本当に驚くような基本的な質問も臆せずしてくる。

---渡辺社長の活動の原動力は何でしょうか。どうしてこれほど突き進めるのでしょうか?
一言でいうと「やりたいから」。楽しい!面白い!そういうことが死ぬ直前まであることが幸せではないか。
私の場合は「いい酒をつくりたい」それだけだった。若い頃は目標とする酒蔵がいくつかあった。そこを目指して、どうしたらそうなれるか、追いつけるか・・・寝ないで試行錯誤の毎日だった。その過程で気づきがあり、見えてくるものがあった。酒米でいえば、山田錦ではなく五百万石。良い米を作るなら自分たちで作る。そういう方向に途中で気づき、その都度実行していった。
そして後悔をしたくない。ここであきらめたら後悔するだろうな、と思ったら、やることにしている。
周囲からは「よくそんな冒険できるね」と言われるが、自分としては逆に「これをしないと危ない」という確信から、冒険をしたくないから行動している。自分は危ないところには行きたくない。実はそれだけ。行動し続け40歳過ぎたころには、それなりに見えるようになってきた。他の人も絶対見えているはずだけど、見えないふり、見ないふりをしている人もいるのではないか。そして、70代以降の上の世代の方々はもっとずっと見えているはず。それを下の世代に継承していってほしい

---これからについて
根知の人口が1,000人から将来500人になってもいずれまた1000人になるかもしれない。そのための基盤づくり。持続可能な地域の基盤づくりがしたい。これからどうなるかわからないから「やらな
い」のではなく、わからないからこそ将来のための基盤づくりが必要だと思っている。

-----以上-----
※ほぼ2時間続いたインタビュー。繰り返し何度も「『自分が何をしたいのか』これが一番大事なんだ」とおっしゃっておられたのが印象的でした。根知地区の事だけでなく、人の生き方についても示唆に富んだ非常に濃い内容のお話しでした。ありがとうございました。

聞き手:集落支援員(近藤)

※集落取材やインタビューについてのご意見をいただければ幸いです。事務局(公民館内)まで。

2015年5月25日月曜日

皆さんにインタビュー 201505-③ (根知在住:Uターン)

※以下、振興協議会ニュース2015年0525号の追加版記事の内容を掲載しています。

インタビュー③
根知在住
高校卒業まで根知で暮らし、しばらく首都圏に行かれた後、Uターンされた方にお話しをお聞きしました。
--------根知に戻られて最初の感想は?
驚いたことは、稲刈りをスニーカーを履いて行い、手伝う内容も随分とかわったことでしょうか(機械化がすごい!)地域活動(花植え)が盛んでいつも心、和ませてもらっています。
道路がとても良くなり、除雪環境がとてもよくなっていました。
--------根知、糸魚川の課題は?
大古の時代より争い事がなく穏やかな土地柄で海、山の幸に恵まれ住環境にはとても良いところです。その反面、他の市町村の方と話をする機会があり糸魚川は変化がなく、閉鎖的なところだよねっと言われたことごあり、こんな見方をする人もいるんだなと思ったことはありました。
根知地域内で様々な会があり、それぞれの活動を行っていくことは、大変なことだと思います。役員さんだけでなく、地域全体で盛り上げていけるよう、関わっていけたらと思っています。
--------根知に戻ってこれまでに一番強く思うことは?
戦中、戦後、高度経済成長と激動の時代を乗り越えてこられた方々から色々な話を聞くと大変だったんだなぁと頭が下がります。また今は高速化の為、働き方も変わってきており、以前のやり方では地域活動も出来なくなってきているのが現状ではないでしょうか。
伝統の継承と新しいものの融合で根知地域全体で盛り上げていけたら良いかなと思っています。その為にも色々な事に捕らわれず、話せる場があっても良いように思います。

※お話しをお聞きして、若い方も年配の方も、お互いにそれぞれの立場で思っていることを素直にお話しができれば、いろんな疑問がスッと解決するのかもしれないと思いました。
聞き手:集落支援員(近藤)

※集落取材やインタビューについてのご意見をいただければ幸いです。
事務局(公民館内)まで。

皆さんにインタビュー 201505-② (根知在住:女性(80代後半))

※以下、振興協議会ニュース2015年0525号の追加版記事の内容を掲載しています。

インタビュー②
根知在住:女性(80代後半)
「結婚してここにきたが、一番寂しいのは駒ヶ岳、雨飾山が見れなくなったこと。当時は結婚は親の言うことをきかないといけなかったからねぇ」
ちょっとした立ち話からお話しが展開し、思いがけず貴重なお話しをいただきました。
--------子供の頃について教えてください
小学校のときは毎日兵隊送り。学校が終わると兵隊にいった留守家族の百姓の手伝いをした。
学校終わったら根知にはおられん。お国のためにとにかく働くという空気だった。戦争は絶対に負けんという想いが頭にあった。
16歳で愛知県の三ノ宮紡績へ行ったが空襲が激しくなって、17歳ごろは三重県四日市の紡績工場に移って働いた。ここで人生一番の薬になったことがある。体操の工場代表12人の一人に選ばれ県大会に優勝、メダルをもらい翌年の明治神宮での全国大会に出られることになった。着る服がなく実家に連絡したところ「それならやめなさい」という返事。逆に服がなくても絶対に出ようと心底奮い立った。いまでもその時のことは鮮明に覚えている(結局、18歳のときにさらに戦争が激しくなって根知にもどってきたのだけれど)。
その後終戦になったが、それまで「銃後の守り」。とにかくお国のために働くことしか頭になかった。
戦後数年間は着る物ない、食べる物ない、何もない、どこに行っても何もない。今の日本は大災害といっても生活できる、着るものも食べるものもある、あのころに比べたら比べられないくらい幸せなことだ。
--------当時の根知について
戦後しばらく、根知では、生の魚、肉は糸魚川のお店に行かないと買えなかった。車は根知で1、2台。おおかたは汽車に乗っていた。戦争当時は、木炭バスが走っていたっけ。
終戦翌年に盆踊りが再開されたと思う。
--------これまでの人生で一番幸せなことは?
若い時は本当に本当に何もなかった。「食べたい」という気持ちしかなかった。幸せねぇ…楽しかったことで一つ思い出すのは、ようやく50歳を過ぎて、子育てが終わって(昭和55年頃)孫もできて、東京に遊びに行ったことかな。

※戦中、戦後、10代、20代に言葉に尽くせない苦労を経験されて、必死に生きてきた状況が鮮明に伝わってきました。今の日本の豊かさは当たり前ではない、このように苦労されてきた方々の生き様が積み重ねられてきていることを改めて感じざるを得ません。
聞き手:集落支援員(近藤)

※集落取材やインタビューについてのご意見をいただければ幸いです。
事務局(公民館内)まで。

皆さんにインタビュー ① (根知在住:男性(70代後半))

※以下、振興協議会ニュース2015年0525号の追加版記事の内容を掲載しています。

インタビュー①
根知在住:男性(70代後半)
4月にお話しをお聞きしました。公営水道、圃場のお話しから「水」に話題が移りました。
--------「水」について
東中はしまたけの水しかない。夏は枯れることもあって苦労している。今も東中はポンプアップが必要で金がかかる(その中で仁王堂は水が豊か)。
昔は夜中に水の守をやっていた。水について本当に困っていて、信越用水の水をもってこれないか試みたこともある。2年間連続で踏査したが専門家から見てもとても無理な個所があった。
田畑のいい場所は朝日、日当たり、夜露のあるところ。しかも夜露がどっぷりあるところがいい。杉之当はいい。病気にならないものね。
--------子供の頃について教えてください
尋常小学校2年生(8歳)のとき終戦。廣傳寺、勝蓮寺には戦争の疎開者が多数いたなぁ。
食べ物の記憶が強い。「やきもち」は食えたものじゃない。白いまんまにトト(魚)。どんなにかうまかったか。これほどうまいものはなかった。
小学校時代は悪さしたような気もする。ボスがこわい。いうことを聞かないと遊んでもらえないんだから。「あれ盗んで来い」なんて命令もあった。
「まめひき」の日は本当に楽しみだった。「ゆでぼや」(えだまめをゆでる)どこの田んぼの枝豆をとってきてもいい日。東中と栗山で互いの田んぼの枝豆をとろうとする。夜真っ暗の中、東橋の途中でぶつかったりした。
「この豆の味は、どこそこの家のあそこの田んぼのだ」とわかったものだ。
小学校で立たされたら喜んで川へ魚取りに行った。担任の先生は泣いている、校長先生におもいっきり怒られたりした。学校から帰ると農作業を手伝わずに魚釣りにいく。そして夕飯抜きになっていた。
--------昔と今の地域のつながり、コミュニティについて
コミュニティは今はゼロだ。昔は月に2回は常会(全世帯)をやっていた。こなければ怒られた。昔は一人では何もできなかった。田、人足、側溝用水あげ、山の道なぎ、村人足。これらほど大事にしたものはない。一人で勝手に変なこと出来ない。「一人では生活できない」ということが根底にあった。
今は「役やりたくない」ばかり。まったく困ったものだ・・・(なぜそうなったか?)文明がそうさせたと思う。行き過ぎの文明が原因なんじゃないか。

※貴重で面白いお話しを沢山お聞きしたのですが、スペースの都合上随分省略してしましまいた。残念です(できるだけ、別の機会にご紹介したいと思います)。人と人のつながりの今と昔。昔のある意味「否応なし」のつながりと今の個人自由の風潮。どんな地域づくりが今必要とされているのでしょうか。
聞き手:集落支援員(近藤)

※集落取材やインタビューについてのご意見をいただければ幸いです。
事務局(公民館内)まで。

2014年10月25日土曜日

根知振興協議会ニュース 2014年10月号(No.7) 発行しました

根知振興協議会ニュース第7号を発行しました。
※根知地区全戸に配布されます。

電子版(カラー版です)はこちらからご覧ください。

電子版_201410号_根知振興協議会ニュース

また、今月は「皆さんにインタビュー」(横川静実さん)の
インタビュー全体を掲載したA4版のPDFもあります。
是非ご覧ください!

電子版_201410号_インタビュー記事(全体)_横川静実さん


ご意見、ご要望をお聞かせください!

事務局:根知地区公民館内
025-558-2002
nechiko@city.itoigawa.niigata.jp

2014年10月20日月曜日

皆さんにインタビュー 201410 (振興協議会ニュース2014年10月号より)

※以下、振興協議会ニュース2014年1025号の内容を掲載しています。

インタビュー
横川静実さん
(76歳 東中在住)
※10月20日 ご自宅にて。
ちゃんまいろの会は昨年、設立10周年を迎え、今年は施設の有効活用などの試みもはじまっています。今回は、初代代表でもいらっしゃる横川さんに、ちゃんまいろ活動当時のこと等についてお聞きしました。


------ コミュニティ活動と「ちゃんまいろ」について
 平成10年に38年間勤務した教員を退職後、5年間講師として子供達を教えていました。
コミュニティ活動は平成7年ごろからはじめて、根知の課題解決に向けて、根知の中の共通項は「農」という所から出来たのが根知の野菜、山菜の直売所「ちゃんまいろの会」です。 本会は3つの理念からなっていて、「地域活性化・振興」「自然保護」「社会貢献」です。活動方針は、近江商人の三方良し「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」をもとにしています。活動資金がなくて本当に苦労しました。多くの方々にご協力いただきました。当初から会員増、営業日や商品増、施設有効活用をめざしがんばってきました。もがきながら、なんとか10年を超えるところまで来られました。
------ 子供の頃の事を教えてください
 昭和20年4月、下根知国民学校初等科(現在の小学校)に入学。根知川でカジカ、河原でグミ等が沢山とれました。傘の骨で「3本モリ」を作ったり…遊び道具は全て手作りでした(道具がなかった)。
 戦時中は敵を倒す訓練や根知出征兵士を見送っていました。「欲しがりません勝つまでは」と唱え続け
 当時の小学生はみんなよく働きました。田植え、稲刈り、豆の世話、畑うち。冬の越冬用の柴、薪の取り込み。味噌、豆腐、油(なたね)、麺、砂糖、醤油、今買っているものはみんな自分で作っていました。
------ 教育についての想いを
 私が子供達に口癖のようによく言った言葉に、「木陰の夏の風を受けて「涼しい」と感じ、湧水を飲んで、『うまい』と感じられるようになったら一人前だ。」
 教育で最も大切なのは、子供達の「やる気」を引き出すこと。これにつきます。それに本当に気づいたのは退職する間際だったけどね…
 私はずっと水泳を教えてきましたが、人間の一生と同じで、徹底して土台となる基礎基本の繰り返しをすることです。その中で楽しむ要素を加えて楽しむことが大切です。そうすれば子供は勝手に上手になります。
------ 根知地区について
 根知は何百年も前からの歩荷、近年は大規模工事(土方)で日銭が稼げました。何かを作って、それを売るという経験が少ない地域で、作ったものや所有物でお金を得ることを良しとしない、謙虚で、お金儲けが下手なのでは、と思います(例えば「しろ池の森」)。ここをなんとか変えていけば、チャンスが見えてくるのではないでしょうか。(以上)
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紙面の都合で大幅にインタビュー内容を削減しています。インターネット上で記事全体とPDF版(紙に印刷できるもの)を公開しています(公民館にもあります)。ちゃんまいろ活動での苦労の連続、今の子供達にこそ知ってもらいたい当時の子供時代の様子、長年の教育経験からの子供に一番大切な事、根知についての想い、是非ご覧いただきたいと思います。
また会の歴史、会則、お世話になった方々についての情報をいただいています。今後予定している「ちゃんまいろの会」特集記事でご紹介します。

※いんたビュー記事全体も是非ご覧ください!

電子版_201410号_インタビュー記事(全体)_横川静実さん
〈記事:集落みまもり隊 近藤〉

2014年7月25日金曜日

皆さんにインタビュー 201407-① (振興協議会ニュース2014年7月号より)

※以下、振興協議会ニュース2014年0725号の内容を掲載しています。
※私(集落みまもり隊)が初めて訪問したお家(吉川さん)に1年ぶりにお伺いしたときのお話しです。今本当に必要な地域活動はなにか?考えさせられました。紹介します。

インタビュー
吉川正雄さん (84歳 栗山在住)※7月17日、ご自宅にて。
------ これまでのことを
・自分の青年時代(S20年代)は、ここは根知村。集落内で自転車は2,3台しかなかった。夜の間だけ借りて、友人5,6人でガタガタ道を糸魚川の映画館に行っていた。当時は自家用車なんて想像できなかった。わずかの間に驚くほど時代は激しく変わった。本当に豊かになった。
・昔は1日働いて米2升。今は30キロ買える日当が出る。
・破れた服は恥ずかしかったが、今はファッションになっている。不思議なもんだねぇ。
・10数年前、牛を扱うのをやめた。北海道をみて、もう牛をやっている時代じゃないと思った。
------ 今の根知、日本をみていかがですか?
「地元根知で食っていけるための仕事がなければ衰退するのは仕方がない。」
 日本全体の大きな流れを見ないと、地域活動、活性化、といろいろやってるけど、(言っちゃ悪いけど)効果ないよ。
------ 今、やられていることは?
・50年以上前、山の畑の横に10㎝程の小さな木が生えていた。その木が今では抱えきれない大木になっている。小さな木を将来活かされるようにと植えて、見守っている。楽しいよ。こういうのは、自分で関わって、育てて、見守って、とやってみないと興味は持てないんだろうね。
~以上~
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現状を冷静に見て、同時に次の世代のための活動をされている吉川さんの想い。肝に銘じて活動したいです(記事:集落みまもり隊 近藤)

※集落取材やインタビューについてのご意見をいただければ幸いです。事務局(公民館内)まで。

2014年5月16日金曜日

皆さんにインタビュー 201405-① 「これ以上故郷を小さくしたくない」

2014年5月16日(金) 9:30-11:30
ご自宅にて、山田至爻さんにインタビューをさせていただきました。
※ダイジェスト版を根知振興協議会ニュース(No.2)に載っています
※以下、インタビューの全体です。
政治というのは本当に「会して議せず、議して決せず、決して行わず』だね。まず開口一番、そうおしゃった。

------ 子供のころのお話しを。
 昭和3年(5歳の時)に昭和天皇の即位式があった。2日間、昼は旗行列、夜は提灯行列でにぎわった。
山口は、料理屋が2軒あり、とてもひらけた街だった。
昭和5,6年には、サーカスが馬車で山口にきた。酒屋さんのあったところで開催されていたが、よく覚えている。そしてそのあと、満州事変が起こるんだ。
根知を90年みてきた人間はもうほとんど残っておらん。さみしいことだ。

------ 今の地域の状況をどうお考えですか?
 今ぐらい嫌な後味の悪い時代はない。
過疎集落、限界集落、消滅集落、とんでもない話だ。
「これ以上、故郷を小さくしたくない。減らしたくない」
根知、糸魚川がこれほど衰退している理由は大きく2つだと思う。
 一つは市町村合併。合併すればするほど、必ず中心になんでも集まっていく。
 もう一つは教育。家族生活(3世代同居)を中心とした生活から核家族へ。これは学校教育が大きく影響している。ドイツは戦後独立した時に教育の昔の良い部分を復活させた。日本も昭和27年からの戦後独立のときに教育をもとに戻すべきであった。教育勅語の11番までは、本当に大事なことだ。※ここでスラスラと教育勅語を諳んじられます。
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父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
學ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
以テ智能ヲ啓發シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
德器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ (法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう)
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 農村の重要性はずっと意識していた。
 小学校3,4年生のときの教科書でいまでも印象に強く残っていることがある。フランスが第一次世界大戦で陥落したときのことを書いてあり「フランスはどんな状況になっても農村があるかぎり滅びない」という記述があった。
昭和62年に議員をやめて7月から公民館長になった。すぐに村おこしをやらんといけんと思い立ち行動を開始した。
 一番印象にあるのは、平成8年のふるさとカルタ。各地区に標地を作り、ふるさとカルタ巡りなどを行ったよ。

------ 山田さんの夢は?
 私には地域おこしの夢がある。根知にはスキー場、塩の道、温泉、伝統文化、山、がある。
スキー場の前に「道の駅」を作りたい。その横に「雨飾工芸館」を作りたい。
その「雨飾工芸館」には、根知の宝である芸術家の作品や名産などを展示販売したい。根知には、彫刻家、画家、盆栽、チェーンソー工芸、木工、陶芸、そして笹寿司などの名産、たくさん素晴らしいものがある。これを「雨飾工芸館」で広く紹介したい。

 農村は人間養成所だ。人が鍛えられ成長する。しかし、成長したあと外に出て行ってしまう。
 地域が維持できるためには、どうしても人数が必要だ。そのためには「アッ」というやり方をしないと難しい。そして、地元の人間がその気にならないと何も実現しない。
 あとしたいことは…
・国旗を全戸に配布したい。
・公民館近くに塔を建て、千年桜を植える。みんなで育て、心を一つに、根知のシンボルにしたいな。
・電気の地産地消。根知の環境を生かせば、風力、水力、太陽光、そして木材発電。根知を電化村にしたい。とくにこの杉林をなんとかしたい。いったい国は森林資源をどう考えているのか…

公民館に立てる塔は四面の塔で各面にはこのような文を刻みたい。
「よみがえれ故郷」
「若者よ、故郷へ帰ろう」
「家族生活を復活しよう」
「電気地産地消、モデル特区」

あとはやはり公民館近くにスーパーを作りたい。根知のみんなが根知でお金を使えるようにしたい。

根知の構想としては、上根知が「観光」、中根知は「文化・教育」、下根知が「誇れる作物生産」

「わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」(平野國臣)
私は毎日この歌を口ずさんでいる。

まわりは私の夢をきいて笑うかもしれないが、人間は夢をもたないと生きられないと思う。夢を持つことで「生きている」といえると思う。「あきらめは一瞬、後悔は一生」。

私が作った根知の詩がある。
「春爛漫 桜花に誘われ
 夏ほたる乱舞 幽玄の境地
 秋は美田豊かに 稲穂が実り 稚児が舞う
 冬はこんこんと湧く出湯に疲れを癒す
 春夏秋冬 夢のパラダイス」

~以上~
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すらすらと過去の出来事を年・月も一緒に諳んじられることに驚きました。
そしてなんといっても、根知に対する熱い思い、故郷への愛情が本当にヒシヒシと強く、深く伝わってきました。
90歳を過ぎた今でも、畑をしているという驚きのお元気さ。これからも根知のご意見番として、ご指導いただきたいと思います。
まだまだお話しは尽きません。これからもお聞きしていきたいです。
今日は本当にありがとうございました。
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(記事編集:集落みまもり隊 近藤)