2015年7月1日水曜日

忠魂祭 そのあと大久保出身の方からお話しをお聞きしました

9:00より忠魂祭が行われました。
※今年も朝からの雨により金蔵院にて執り行われました。
振興協議会評議員、来賓の方々、そして一般参加者が静かに待つ中、
4住職が登場されました。
振興協議会長の挨拶の後、読経がはじまりました。
4住職による読経は、通常は経験できない独特の雰囲気を作ります。
読経は約40分ほど(途中でご焼香があげられます)。

戦争の悲惨さを忘れずに次世代に引き継いでいくためにも、忠魂祭は継続していく必要があると思います。(平日の日中ということもあり、若い方々は仕事を休んだり学校を休まなければいけないことが参加を難しくしている面もありそうです。)

さて、今日は名古屋から参列された方がいらっしゃいました。
大久保出身の方です。忠魂祭の後、根知地区公民館にてお話しをお聞きしました。

高木さん(旧姓:山本さん)です。
ひいひいおじいちゃんは山本七郎兵衛さんで緑綬褒章を授与されたこと。
祖父、山本千代喜さんが近衛兵で力士であった。33歳のときに戦死されたこと。
(高木さんのおかあさんがおなかにいて3か月のときに出征。6歳のときに骨が戻ってきたとのことです)
高木さんは10年来、忠魂祭に参列されているそうです。
※下の写真は明治17年2月21日に緑綬勲章を授与されたことを証明する書と勲章の写真です。
※下の写真は高木さんの祖父、山本千代喜さんが近衛兵で力士であったころの番付表です。
さらにお話しをお聞きしました。
大久保のお家は「仲」というはたごやで、昭和31年3月28日の夜10時に火事になり全焼。緑綬褒章も様々な記録も焼けてしまったそうです。
あまりにお母さんが泣くので、祖先の功績(記録)を復活させたいと、資料収集、証書の再発行のための手続きをはじめたそうですが、死ぬまでやるぞという信念で活動を続けられたとのこと。
再発行にいたる道はそれはもう大変であり、箱や証書、書状、それぞれ判子や何やらで何度も手続きをやり直したり、繰り返しあちこちの窓口を行き来したそうです。再交付については、何度も断られ続けたこともあり、20年かけてようやく資料が揃ったとのことでした。
今は、上記お二人を含めご先祖様12名の名前を呼びながら、朝・晩、お参りされているそうです。

忠魂祭の日に、昔、根知の大久保にこのような方がおられたこと、その記録が消失して20年かけて復活されたこと、等の良いお話しをお聞きできました。ありがとうございました。

記事:集落支援員(近藤)

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